好きなことに人生をかける。
だが、それは自分には適正がない。
そんなことがある場合、どうすれば良いのよ?
結論、他に好きなことを見つけ、かつ適正があるものに突き進め。
彼は言った「為すある者は辟へば井を掘るが若し」
大学の同期で、旧帝大の学者になった友人が
大学院進学の際に私に送ったメールの返信。
”為すある者は辟へば井を掘るが若し”
物事を形にしようとする人は、途中でやめてしまっては駄目だ、ということ。
孟子の言葉で、これには続きがある。
”井を掘ることに九軔にして、而も泉に及ばざれば、猶ほ井を棄つると為すなり”
「井戸を掘っている途中で、水脈に達する前にやめてしまっては、井戸を捨てるのと同じだ」
つまり彼は、このままその分野を研究し続けると、あの一文で私に示していた。
そして当時の私も彼同様、その分野を研究し続けようと思った。
だがしかし、うまくは行かなかった。
掘削能力が足りなければ?そもそも水脈はあるのか?
この場合はどうなのか?
我々の人生は限りがある。
限りある時間で水脈にたどり着く必要があるが、
果たして自分に十分な掘削能力があるのか?
そして、本当にそこに水脈があるのか?
つまり、人生をかけたい分野に対する適正があるのか。
適正がなければ、時間がかかりすぎたり、正しい方向に進めなくなる。
当時の私は考えた。
ここに私が求める水脈は無い、と。
どうも、掘削に時間がかかりすぎるとも。
ゆえに中退をした。
水脈も無い、掘削が難しい土地からは、即立ち去るべきだ。
途中で諦めては無意味になるが、水脈が無ければ続けることは無意味なのだ。
時間がかかりすぎては水脈があったとしても、達する前に逝ってしまうだろうよ。。。
楽しく、かつ他者よりも容易に掘れる土地を求めて
前述した結論の通り、「好きなこと、かつ他者よりも簡単に出来ること」を探すのが良い。
そこにこそ、あなたが求める、いや、あなたを求めている土地がある!
あとは、最後までやり抜くのみである。
追記:為せば成る。。。
為せば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり (上杉鷹山)
という言葉があるが、200年前の言葉なので、高度に発達した現在においては
全てに当てはまるとは思えない。変化が激しい時代なのだ。
他者と比較して短時間で結果が出せる、適正のある方向に進むのが妥当だと思う。